開戸日記

カクコト・イイコト

「悪人」とは悪意から形成されるのか?それとも罪悪感から形成されるのか?または…

僕は悪い人だ。
そう思っている人は、世界に何人ほどいるのでしょうか?多分、日本の中ではイチイチ反省して猛省して心の中に罪悪感を感じやすい人が多いのではないでしょうか?

かくいう僕もその1人です。
真面目だね、って言われる機会が多いですし、些細なことでも気になります。直したいとさえ思います。

たまに自分は、本当は悪い奴で「悪人」ではないのか?とさえ思います。ここまでいったら重症ですね。やべー。

では、実際外から見える悪人は自分のことを悪いと思って悪いことを行なっているのでしょうか?

すなわち悪意を持って、さらに一定の罪悪感を持って行っているのでしょうか?

僕が考えるに、おそらく悪人は通常の人よりも悪意や罪悪感を感じていない人々で、反省する隙がない人物だと思われます。言い換えれば何してもいい自由な状態の人間。

とにかく自分のしたいことをする。
悪も善もないような状態…かな?

もちろん悪意を持って悪人になる人もいるでしょう。ただ自由な状態の「悪人」よりも更生の余地があります。というより「真面目さ」さえ見え隠れします。

悪人に「真面目」という言葉を使うのはどうかと思いますが、自由な状態の悪人は、自分が悪いことをしている自覚さえ無いかもしれません。

そんな人物と比べれば、心に「悪意」や「罪悪感」を持っている人はまだマシでは?


そもそも悪人とはどのように生まれるのでしょうか?

例えば周りから見て「悪い」と感じたら「悪人」なのか?または法律を破った時点で「悪人」なのか?

あるいは中身?
悪意が形成されることによって悪人になるのか?または罪悪感を感じることで悪人になるのか?

多分、悪人には2種類のパターンが存在するのでしょう。


周りや法律から見て「悪人」になるパターン。

そして自己の意思によって「悪人」と形成されるパターン。


自由な状態である悪人が多いのは、周りや法律から見ての悪人でしょう。そして自己の意思から生まれる悪人は、まだ直しがいがある。何せ悪いことをしていると気付いているためです。


ただ厄介なことに、
自己の意思から生まれる悪人は、自由な悪人よりも多く発生されやすいと思います。

何でもない一般人が、突如として罪悪感を感じて「悪人」へと変化します。それもとっても簡単なことで。

さらにしっかりとしている人物。真面目で、ルールを守る人ほど「罪悪感」は感じやすいでしょう。

悪意を抱くのも、真面目でルールを守りやすい人ほど些細なことで強く抱くかもしれません。

「悪意」や「罪悪感」を感じやすい人ほど心の内部から『悪人』に変化していきます。そして始まる自己嫌悪。常に心にある悪人と対峙して消耗していきます。

最悪、「悪人」としての行動さえ振るうようになるかもしれません。


そうなる前に対策を打つ必要があります。

アニメの「サイコパス」のように犯罪係数高いので銃でパーンと撃つのではなく、誰かに相談したり、ちょっと話したり、休憩したり、散歩したり、映画やドラマを見たり、読書もいいかも。

要は思い詰めないことが大切ですね。
あと反省し過ぎないこと。自分が行なってきた正しいことを思い返してみるのもいいかも。

あと、自分を責め過ぎないことですね。


僕は精神医療に通じている訳ではありませんが、最近「悪人」の定義が気になっています。


結論として、「悪人」ら2種類います。
外部から見える悪人と、内部から発生する悪人。

内部から発生する悪人は、対策が打てて、救われる価値が高いように僕は思えます。ただ外部から見える悪人、内部の中に「悪意」や「罪悪感」を一切感じていない悪人は厄介でしょう。


彼らは自由な状態であり、それはある意味「無敵」ですから。

以上。

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