開戸日記

カクコト・イイコト

シリコンバレーでスタートアップに挑戦している日本人起業家まとめ

日本でもスタートアップを経営する起業家が多く誕生してきていますが、太平洋の向こう側にあるスタートアップの聖地「シリコンバレー」でも起業にチャレンジする日本人起業家が増えてきています。今回はそんなシリコンバレーでスタートアップにチャレンジする日本人起業家をまとめました。


FOND(AnyPerk)/福山太郎

日本人でシリコンバレーの起業に挑戦している方で一番有名なのが福山太郎氏ですね。2017年4月には社名をAnyPerkから「FOND」に変更し、会社文化を無料で測定するサービス「EngagementIQ」の提供を開始。そして中心事業だった「Perks」も「Fond Perks」へ。そして2016年より開始した社員の承認・表彰サービス「Rewards」も「Fond Rewards」へ変更しています。

FONDの中心事業となっている「Fond Perks」については映画鑑賞や携帯電話料金、事務や旅行など約850種類以上の特典・割引を受けることができる福利厚生サービスです。そして「Fond Rewards」に至っては社員の記念日、誕生日などにマネージャーがポンイトを送ることができるサービスです。こちらのサービスに至っては米国では4兆円以上の市場規模がありのだそう。

そもそも福山氏がシリコンバレーで起業するのは思っていたよりも偶然に近い部分が多い印象です。実は大学時代までは弁護士を目指していた福山氏。しかしmixiといったITの旋風を目の当たりにし、ITの力に感動します。そしてITで何かやりたいと感じるのですが、サイバーエージェントの就職で落ち、なんとなくITで起業したいと感じます。

その後、スカイプで意気投合したサニー氏と合流し、一緒に起業することに。シリコンバレー住まいになった際は自動車で寝泊まりや一泊10ドルとかなりキツい生活をし、資金調達に奔走します。そんな時「TechCrunch Disrupt」というイベントに潜入した福山氏はY Combinatorのポール・グレアム氏に直談判。グレアム氏からYコンに入るよう勧められます。

その後、福山氏はYコンの投資プログラムに応募するための書類を応募。そして最終面接でまさかの渡航費節約目的で一名がSkypeより面接。そしてグレアム氏より電話で投資をする旨を受け取ります。その後2ヶ月後のデモデーまでにプロダクトを磨くことと、ユーザーと話すことを2点を集中して行うように言われます。実は福山氏のチームは「mieple」という「Fond Perks」とは違うサービスを開発していました。

miepleとはFacebookで繋がる友達をバイラル形式で伝えていくサービスでした。しかしユーザーヒアリングを行なったところ、結果がイマイチ。YCからmiepleの開発を辞めるように言われます。そのため、また一からサービスを考え直し、合計で7つのアイデアを試し、ヒアリングやデモを試す日々。そんな時、Yコンで嬉しかったことを回想することがありました。

その嬉しかったことの一つに、200以上のサービスを割引で受けることでした。早速、企業にこういった割引サービスがあったなら利用したいか周りのスタートアップに聞いてみると社員が嬉しいのならば企業が一部お金を負担してもいいということでした。さらにもう一つ、地元日本企業でもベネフィット・ワンという会員企業向けの福利厚生サービスを提供している企業があり、この企業が年間150億円ほどの利益があります。これらを確信にプロダクト開発に挑み、デモデーに間に合います。

これをキッカケに多くの投資家の心を掴み、サービスローンチから7週間後で1500社の登録を獲得するなど大きな躍進を手にしました。AnyPerkからFONDへと社名を変更し、これからの活躍にますますの期待が高まります。


Anyplace/内藤聡

あのUber初期投資家ジョイソン・カラカニス氏も投資している話題の起業家、内藤氏。もともと学生時代よりシリコンバレー、そしてシリコンバレーで活躍している起業家に憧れを抱いており、大学卒業後と同時に何もない状態で渡米までした人物です。

渡米後は元ノボット創業者の小林氏のお世話になりながら、スタートアップ向けのシェアハウス「TechHouse」インタビューブログ「TechWatch」を開始してシリコンバレーという土地を知り、起業家や投資家との人脈を構築する動きを進めます。この土地で1年間過ごし、よりシリコンバレーでの起業を明確にしていきます。そんなある時、小林氏と同席していたミーティングの合間に唐突にピッチを勧められます。

そしてこの時話したアイデアをきっかけに小林氏は資金を出し、すぐさま会社が立ちあげりました。その次はEast Venturesの大河氏より二つ返事で出資。他にも日本の投資家より資金を調達し、最初の事業「Instabed」を立ち上げます。この事業はHotelTonightのAirbnb版としてリリースされ、Airbnbで売れ残った在庫を直前割引で安く販売できるマーケットプレイスとして提供しました。

しかし、Airbnbに依存しすぎており、ローンチからすぐバン。獲得コストが高い、使用頻度が低いなどの理由から上手く行かず一回目の事業を手放します。そこから2年間様々なアイデアを試していきます。中古家具のレンタル、旅行中の空き部屋交換など複数のプロダクトに挑戦するも上手く行かず。悩み抜いて色々な人や著名なブログ記事を読み漁り、辿り着いた先が「賃貸」でした。

渡米から3年間の間でもっとも苦痛に感じていたのが「引っ越し」で、契約期間や荷物の運び、コミュニケーションの手間といった煩わしい課題が多いと感じていました。そして思いついたのが「ホテル住まい」。ホテルには家具付き、水道に電気、そしてインターネットで契約は月借り。わざわざ引っ越しするよりも柔軟に住まいを選択できるメリットがあります。

さらにAirbnbの台頭によりホテルに空室が生まれており、安く貸してもらえるのではないかと考えました。そこでホテルが安く部屋を出してくれるか、ホテル住まいをしたい人がいるか検討を始めます。検証の結果、ホテルは安く貸してもらえ、おまけに長期で住みたいという人が現れます。これがキッカケで誕生した事業が「Anyplace」。ビジネスモデルとしては料金の10%を手数料として頂くモデルです。

その後メールでミーティングの約束まで漕ぎ着けたジョインソン・カラカニス氏より投資を受け、流通総額1億円の規模まで拡大。今後のさらなる活躍に期待が高まります。


Ramen Hero/長谷川浩之

もともと高校卒業の頃よりアメリカに興味があった長谷川氏。理由は「大きなことをしてみたいから」。長谷川氏は小さい頃より他の人とは違うことをしたい、誰もやっていないことをやりたいという思い強かったそうです。その後は大学の卒業を機に創業メンバーとしてスタートアップにジョイン。しかし結果的には、このスタートアップはクローズしてしまいます。

ジョインしていたスタートアップがクローズしたのを機に実家へ帰った長谷川氏は、次のステップとしてアメリカ行きを思い浮かべます。まずアメリカに1ヶ月間滞在し、その後日本へ戻ってエンジニアとして修行。そして3年後に米国で起業しようと考えていました。そして渡米を決意。渡米後はシリコンバレーに在住している日本人にコンタクトをしたり、紹介してもらったりとシリコンバレーにいる感覚を掴んでいきました。

その中には先ほど紹介した内藤氏も。内藤氏に相談したところ、ある人物を紹介してもらうことに。その人物は元ノボットの創業者でシリコンバレーでも事業を行なっている小林清剛氏。帰国フライトの2日前にサンフランシスコのカフェでお会いしたところ「なぜ今すぐやらないの?」と言われます。突如言われた「今すぐ起業する」という選択。長谷川氏は驚きましたが、その場で米国に残ることを約束し、何もない状態で事業をスタートさせることに。

その後はシェアハウスに住みながら事業を開始させていきます。まず最初に考案したのは「投資家とスタートアップのマッチングアプリ」。モバイルで簡単に投資を完了できるというサービス案でしたが、そもそも自身が当事者ではなく情熱も減少していき無しへ。そして次に考案したのは「海外旅行者向けのチャットコンシェルジュアプリ」。これは自身の経験から来ているもので、米国で困った体験を解決するために海外旅行中に母国語でオペレーターとリアルタイムチャットのやり取りが出来ないかと考えました。

このアイデアが見事、スタートアップのピッチコンテストに参加して出資を頂きます。しかし後になってオペレーターの人件費とAIによる自動化に膨大なデータ量が必要になっていくという課題。結果的にこの事業は上手くいかないと判断し、新しく別の事業を考案します。そして考案したのがラーメン事業「Ramen Hero」です。

なぜラーメン事業に目をつけたのか?それはラーメンが米国で定着してきているのに、本格的な味を提供出来ていない、さらにラーメン店が遠かったり、店によって味が悪かったり、混んでいたり、高かったりと問題がありました。そして長谷川氏自身もラーメンが中学から大好きで、大学生の頃では東京のラーメン店を練り歩いていたという原体験がありました。

こうしてラーメン事業でいくことを決断し、日本のラーメン学校でラーメンについて専門的に学んで事業を考察。一度形を変えてピボットしながらも最終的にはオンラインでラーメンを気軽に食べられるD2C事業「Ramen Hero」を開始。kickstarterでも上手くいき、イベントには150人集まり、さらに毎月の新商品は1日で完売するなど順調な滑り出しを迎えます。

日本の味を米国に届ける「Ramen Hero」と長谷川氏の活躍に今後も目が離せません。


Zypsy/玉井和佐

WEBサイトやアプリをアウトソースする際に週2500ドルで引き受けてくれるサービス「Zypsy」。このサービスを運営している玉井氏はもともと起業するために渡米しました。そして渡米後から2年後に「Zypsy」をリリースします。このZypsyが生まれたキッカケは玉井氏自身がフリーランスとして活動していたことがキッカケだったとされます。

もともと渡米後にフリーランスのデザイナーとして活動していた玉井氏。その中で「UpWork」のようなタレントマーケットプレイスが急成長している点、デザインのアウトソーシングが簡単になった点、米国の労働者の40%がフリーランス契約社員で占められている点がありました。

そして、そんなデザイン・フリーランスアウトソーシングの問題点として「デザインの質を担保するコスト」「デザイン・エンジニアの溝」「プロダクト製作と採用を両立する難しさ」が挙げられました。これらを解決するため、デザイナーを始めとしたデェべロッパーのネットワークを築き、スタートアップが必要な時に必要なだけアウトソースできる環境を構築しました。

仕組みとしてはクラウドワークスのデェべロッパー特化版でしょうか?日本でもエンジニア不足やデザイナー不足は深刻化していますし、米国でも似たような現状というのを聞きます。特に最初の資金が少なくプロダクトを早くリリースしなくてはならないスタートアップには歓迎される部分が大きそうです。


poppy.ai/哘崎悟

何と英語が話せた訳でもなく、コードが書ける訳でもなく「シリコンバレーで世界を変えるプロダクトを作る」という思いからシリコンバレーでの起業を目指して渡米した驚くべき人物です。どことなく経歴が福山氏と似ているような...

渡米後の1年目はサンフランシスコ近辺にある大学でコンピュータサイエンスの基礎を学習する生活を送ります。英語もプログラミングを分からない状態で学ぶので普通より2倍、3倍以上にキツイ現実があるのにも関わらず一生懸命の努力と周りの支えもありプログラミングを習得することに成功します。ちなみに習得したプログラミングは「C++」といってプログラミング初心者にはちょっと厳しい言語です。僕も挑戦したことありますが、厳しかったのを覚えています。

そして2年目はAIスタートアップ「Waygo」でインターンを開始。この企業では自然言語処理エンジニアとして働くことになるのですが、そもそもこの企業でインターンに至るまでの道のりが大変で、Linkedinから100通くらいメッセージを送り働かせてもらえないかと直訴。結果的にWaygoとレシピ系スタートアップからオファーをもらいます。

ただそこで働く際の自然言語処理が「Go」「Python」といった言語で知識が全くなかったようです。Waygoで働く前に関連書籍やドキュメントを徹夜で読み漁り働く前には準備万端だったのだとか。その後はプログラミングスクールに通い、色々な人たちと交流します。

そして3年目はプログラミングスクールで知り合ったチームメイトと意気投合し、2017年1月より一緒にスタートアップをやることに。事業としては「表情に応じて写真を撮ることができるARカメラ」を開発していました。しかし、チームメイトと上手くいかない、先の見通しが立てないなど様々な理由から1年後にはチームは解散しました。

しかし4年目となり再び起業。今度は「AIでペットの写真からパーソナルステッカーを作成するアプリ」を事業とし、「poppy.ai」を創業します。今後事業がどのように飛躍していくか期待が高まります。


FlyDate/藤川幸一

2010年頃よりシリコンバレーで起業に挑戦した藤川氏。今回紹介する中でも比較的古くからのチャレンジャーになります。しかし、やはりというべきか道のりは険しく簡単ではなかったようです。

もともとはシリウステクノロジーズという位置連動広告の企業でプロダクトマネージャーをすると共に、夜はIPAの未踏事業に進めている日々を送っていました。しかし勤めていたシリウステクノロジーズYahoo!JAPANに買収され、その凄みに圧倒され感化。自らも起業を決意し、どうせやるのならばシリコンバレーを目指し、未踏の事業を持ち込んで起業に至りました。

実際、最初の頃は順調に進めていきました。日本のVCとエンジェルより5000万円の資金調達、そして500Startupsにも入門できました。が、シリコンバレーには競合が多数いて顧客獲得に苦労する羽目に。さらに英語もできない、スタートアップについても何なのか分からない状況でシリコンバレーにやってきたため、日本人コンサルタントを入れていたのですが、アドバイスを巡って共同創業者と対立。結果的に両者は会社を去り、藤川氏一人に。

周りからも辞めた方がいいとまで言われる状況の中、多くの投資家の支えもあり事業を継続。そしてWantedlyで募集していたところ日本人エンジニアが応募。しかも未踏出身だったとか。運が向いてきてここからいよいよという時、Amazonが今まで開発してきたプロダクトを引っ繰り返すようなプロダクトを発表。このプロダクトに沿ったプロダクトを作りこむも、利用してくれるのが国内のゲームやアドテク企業のみ。米国市場では展開できません。

ピボットを行い、新たに「FlyDate Sync」をリリース。このプロダクトは企業が持つデータベースをクラウド上で分析することができるSaaS型のビックデータ解析サービスです。これが米国でも顧客数を多く獲得するキッカケとなり売上を伸ばしています。2017年には400万ドルの資金調達に成功し、日本にもオフィスを開設。売上の8割が米国を占め、これからますます展開が期待されます。


Nota/洛西一周

月間UU1000万人以上を誇り、利用率の86%が海外で中でも北米と欧米で多くの方に利用されているスクリーンショット瞬間共有サービス「Gyazo」と、共有ノートサービス「Scrapbox」を提供しているNotaの洛西氏。

もともとプログラミングは12歳から始めた経験と、Windows用アプリ「紙copi」のリリース経験とそれがWindowsのバージョンアップの度に変更することに苦い思いをした経験から「プラットフォーマーの考え方を学ばないといけない」とシリコンバレーを意識した経験がありました。

その後実際に米国まで足を運ぶのですが、3年で資金が尽くことに。しかし一度プレゼンして投資を頂いたエンジェル投資家の川田氏の追加投資と黒字化目標を与えられて何とか立ち直ります。

ちなみにGyazoの開発はもともとは趣味の一貫に近かったとのこと。そのころは運営している複数のプロダクトの一つに過ぎず、展開してみると予想以上にユーザー数が伸び続け、今では「ググる」という言葉のように画像を瞬間的に共有することを「gazod」という言葉が生まれています。日本語だと「ギャゾる」でしょうか?

他にもサービスを気に入った方が自主的にブログや動画で広め、そういった方々がバイラル的な要素となり口コミで急速に広がっているそうです。中にはGoogleChrome開発者が紹介したこともあるのだとか。

最近ではGIF動画にも対応して、関連サービスの「Gyaza Teams」も提供され、リアルタイムに視覚的に共有できるサービス「Scrapbox」も2016年よりリリース。拠点をシリコンバレーの他にも京都に置くなど、今後は海外展開だけでなく日本展開にも注目が高まります。


Chomp/小林清剛

スマホ時代をいち早く察知し、スマホ向け広告事業の「ノボット」を立ち上げてKDDIへ売却したシリアルアントプレナーである小林氏が次にチャレンジの舞台を移したのはサンフランシスコでした。

会社自体は2013年12月に創業しており、2011年にノボットを売却して退職されたのは2013年9月。退職後のすぐの起業になります。すごい。ちなみに会社名が「Chomp」となっていますが、どうやら旧社名が「Chanoma」らしいです。小林氏のFacebookを参考に致しました。

創業したChompが始めるたのはリモートハイヤリングプラットホームの「Remotus」。事業が生まれた背景としては米国内で高騰する開発リソースを課題に、米国外の開発リソースを頼りに遠隔で提供、マッチングしようとする事業です。仕組みとしては開発者を必要とする企業が遠隔地や海外でも働くことの可能な人員をオークション形式で入札する仕組みです。

オークションとしては企業側が開発人員に対してオファーを出す際に提示金額を示すことで、採用者はその中から一番いいと感じたオファーを受けることになります。このような形から自然とオークションのような形になるようです。この事業を始めるにあたり、Chompは2013年4月に1500万ドルの資金調達に成功。今後の展開に注目が高まります。


Cosme Hunt/高橋クロエ

日本の化粧品キュレーションプラットホーム「Cosme Hunt」というサービスを運営している高橋氏。もともとは日本のベンチャー企業で働いており、その後アメリカへ。アメリカではY Combinator卒業生が創業した「Make School」というプログラミングブートスクールキャンプに日本人初参加。ブートキャンプ後はUI/UXデザイナーとして仕事をしており、幅広く経験を積んでいきました。

そんな時、アメリカに暮らす間にある悩みに遭遇します。それは「化粧品」です。知り合いもいない異国の地で化粧品の購入だけ何を買っていいのか分からない状態が続きました。日本の化粧品を使ったらいいのですが、現地では簡単に購入出来ない。おまけに口コミサービスがあってもアプリで簡単に使えるものがありませんでした。ということで、この悩みを解決するため全世界で化粧品の口コミを探せるサービスを開発することに。

しかしデータベースを一から作っていくとなると手動入力や化粧品の効能を理解する手間が必要になりアプリの設計段階からキツイ状態。そして以前まで学んでいたMake Schoolのファウンダーであるジェレミー・ロスマンにアイデアを話したところ、大きすぎるから日本の化粧品にフォーカスしてみては?とのフィードバックをもらいます。

その後プロダクトを改めて考え直した際に、日本特化にした方がユーザーにとって利便性の高いものになるのではないかと考え直します。その結果ターゲットが明確になったことでサービスが上手く回るように。その結果「Cosme Hunt」という日本の化粧品を専門家がわかりやすく英語で発信するキュレーションECという形へ辿りつきました。

最近では試供品から始めるサブスクリプションサービスも展開しており、メンズ化粧品の展開も検討しています。今後の展開に注目です。


RestUp/田中優

シリコンバレーでカプセルホテル事業「Pod Room」を運営している田中氏。もともとは大学在学中にCyberAgent Venturesでインターンをしており、卒業後は滋賀県の古民家2軒を再生、そしてCAVの米国オフィスへインターンとして渡米します。そしてRestUp社を創業しました。

なぜアメリカでカプセルホテル事業を行なったのか。実はアメリカには日本と同じカプセルホテルような宿泊施設が存在しておらず、またカプセルホテルのように一人で泊まれる安いホテルがありますが、防犯・防音が出来ておらずカプセルホテル以上に居心地の悪い空間になっています。

そこで日本のようなカプセルホテルを立地がよくプライバシーがしっかりとしており、何より安く提供できることで他のホテルより一人でも簡単に安心して泊まれる居場所を提供することが出来ました。

アメリカではまだないカプセルホテルが日本でどのように提供されていくか注目です。


シリコンバレーに挑戦するも敗れた起業家

このようにシリコンバレーで果敢に挑んで成果を挙げている起業家もいるように、中にはシリコンバレーで起業を試みたものの上手くいかなかった起業家もいます。しかしシリコンバレーから帰還したものの現在では日本で大きな成果を挙げることに成功しています。


Wondershake/鈴木仁士

現在は「LOCARI」という女性向けメディアを運営しているWondershakeの鈴木氏。もともとはアメリカで事業を進めるつもりでサービスも社名と同じ名前である位置情報SNSサービス「Wondershake」を展開しようとしていました。そもそもなぜ、アメリカで起業しようと考えたのか、それは大学3年の時にアメリカで留学した体験から来ています。

そしてその時流行っていたTwitterに衝撃を受けます。そしてTwitterのようなサービスを作りたいと思うようになり、さらにシリコンバレーで訪れた際にはアメリカでの起業に背中を押してくれる方々の存在がありました。こうして「ネットの出会いをリアルに落とし込むサービス」である「Wondershake」をアメリカで勝負しようと決意しました。

こうして帰国後に仲間を募ってアメリカへ。日本発のグローバル企業として多くのメディアに注目されます。これにより資金調達には問題なくプロトタイプを出来上がり、サンフランシスコでは引きこもるように開発に没頭します。そして3ヶ月間サンフランシスコに滞在して観光ビザが切れると同時に帰国、そして就労ビザが認可されればアメリカで起業という段階にまで来て、まさかのビザが不可に。

理由はわからないままアメリカへの入国も果たせず、周りにアメリカへ行くと宣言していることもあってシンガポールへ。そしてアメリカ寄りのサービスであった「Wondershake」をシンガポール版に直し、「Tsudoi」をリリース。プレサイトを日本で展開するもマネタイズに苦戦。やがてキャッシュも尽きることに。

そのため心機一転して受託事業と新規事業を平行しながら経営を持続させていきます。そして資金に余裕が出てきた段階で「Locari」をリリース。最初はECとしてリリースされたLocariでしたが、ECの機能が思っていた以上にキツく、メディアとコマースの両方をつなぐ方向へ。メディアの記事内容にリソースを注ぎ込み、徐々に記事経由から物が売れるように。

一度はアメリカを夢見て起業したものの叶わなくても、日本で再度歯を食いしばって挑戦する姿は勇気を感じさせます。Wondershakeのこれからの活躍に期待です。


まとめ

大体の文末が「今後の展開に注目です」になってしまった...

毎回思うのですが、文末の文章が難しいと感じます。さて、最近では日本のスタートアップ業界も東京界隈で盛り上げりを見せており、次々と新たな起業家が誕生しては活躍していますが、相変わらずホットで中心なスタートアップの聖地はシリコンバレーであるということは変わらない気がします。中国でも深センや北京でスタートアップがガンガンと出ていますが、やはり規模感ではシリコンバレーがトップなのかな?

今回ご紹介したシリコンバレーで活躍する日本人起業家の多くが、最初はフラッと来て起業を決意して悪戦苦闘の末に今に至るという方が非常に多いと感じました。シリコンバレーで挑戦するのは、そこまで死ぬ気の覚悟を持たずフラッと挑戦してしまうのがベストなのかもと思いました。もちろん大変なのは起業した後かもしれませんが。

調べてみるとまさかここまでシリコンバレーで挑戦している起業家が多いとは思っていませんでした。そしてノボット元代表がここまでシリコンバレーで活躍する日本人の大恩人的な存在になっていることも知りませんでした。色々すごいです。

多分調べ切れてないだけで、もしかしたらまだまだシリコンバレーで活躍する日本人は多いかもしれません。今後に注目してみたいです。以上。

プライバシーポリシー